3番目の落書き帳

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help リーダーに追加 RSS 10月24日の『天声人語』より

<<   作成日時 : 2008/10/25 01:03   >>

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 下に貼り付けた記事は、10月24日付の『天声人語』(朝日新聞)。先の東京での「妊婦死亡」について書いている。天声人語は普通の新聞記事ではなく、エッセイであるから、客観性が低くても、別にかまわないと思うので、批判するつもりはそれほどない。

 命の尊さを謳うこと自体は悪いことでもなんでもない。ただ
首都の夜、女性を守るべき駆け込み寺が、豪壮な門を閉ざして並ぶ図が浮かぶ。
の部分を読むと、コラムの筆者もやはり「病院が悪い」という発想が先に来るのだろうか、と感じてしまった。

 少なくとも今回の出来事に関しては、各病院が命を粗末に扱ったというわけではあるまい。どの病院も、容易でない環境の中で、それなりの(つまり「ひどくない」)対応をしたと思う。問題は、「マスコミが望むような百点満点の医療」をするだけの環境が出来ていないことだろうか。

そもそも、「常に百点満点の医療」をすることなんて実質上できない(費用とマンパワーを最大限にかければできるだろうが、財政的にも人手的にも実現不可能)。そのことについて、このコラムの筆者は何も書いていない。命の尊さも当然なら、全部の命を救うことが出来がたいのも当然だと思うのだが。

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10月24日付・天声人語(朝日新聞)まとめて産婦人科というが、産科と婦人科の空気はかなり違うらしい。祝福と闘病、病院によっては二つが同居する。禅僧から医師になった対本宗訓(つしもと・そうくん)さんが、臨床実習での体感を近著に記している。「まさに生老病死が混在して、双方とまどいもあるのではないかと傍目(はため)に思うことがある」(『僧医として生きる』春秋社)

▼同じ苦しみでも、お産は「生」の営みだ。ところが産科医不足のために、痛くもうれしいその瞬間が昔とは別の意味で「命がけ」になりつつある。大東京の真ん中でも、と嘆息する

▼脳内出血の妊婦(36)が八つの病院に受け入れを拒まれ、亡くなった。最初に断った都立病院は、妊婦に緊急対応できる施設に指定されている。なのに産科医は定員に満たず、週末の当直は1人態勢だった

▼満床などを理由に拒否した他院も有名どころだ。首都の夜、女性を守るべき駆け込み寺が、豪壮な門を閉ざして並ぶ図が浮かぶ。寺の担い手が足りなくては話にならない。医学生が産科を敬遠するのは、きつい勤務と訴訟リスクゆえと聞く。ストレスの中では祝福も色あせよう

▼僧医の対本さんは「僧侶は広く『いのち』を説き、医師は個々の『命』を扱う。どの生命も大きないのち、つまり縦横無尽のネットワークの中で生かされているのです」と語る。「いのち」が表す支え合いの輪が、いま危ない

▼無事だという赤ちゃんは後年、生を賭した母に何を思うのか。小さな命を送り出し、一つの命が消えた。どちらの命も、救急医療体制の存在理由、いのちを問うている。

天声人語 2008年1月-6月
朝日新聞出版
朝日新聞論説委員室

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