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SFの大家・アシモフの短編に「世界のあらゆる悩み」という作品がある。舞台は未来の地球。世界は、マルチヴァクという超高性能のコンピューターによって運営されている。一部の人々は、その状況に満足せず、マルチヴァクを壊して社会運営を人間の手に取り戻そうとするが、大多数の人間は現状に満足している。 マルチヴァクは、貧困・治安だけでなく、人間のいろいろな悩みを解決するように至った。それだけならいいのだが、「いろいろな悩み」を通り越して人間たちの「あらゆる悩み」に対処しなければならなくなった。その結果、マルチヴァクそのものが疲れて果ててしまい、自らの「死」を望むようになった。。。というお話。この話を私が取り上げたのは、単にこの話が好きだからではない。 たとえば今の病院はどうだろう?完全からは程遠いが、医療の世界は日進月歩、進歩を続けている。今までであればあきらめるしかないような病気も、病気によってはそれが直るようになった。平均寿命も延びている。世界トップクラスである。出産のリスクも大幅に減じた。それでも人々(医療関係者以外のほとんどの人)の欲望は減じない。「○○直してくれ」「△△を何とかしてくれ」「早く来てくれ」「何で早く見てくれないの?」「医療費が高いぞ」「鐘のことを言うな。人を救うのは医者の役目だろ?」などなど。そして、結果がうまくいかなければ下手をすると訴訟になる。 言うまでもなく、病院はマルチヴァクのごとく万能でもなんでもないが、人々のいろんな悩み(そしてともすると現在の医療技術・医療体制のキャパシティを超える)を持ち込む。「病院にいけば何とかしてくれるかも・・・」を通り越して「何とかしてくれるはずだ」「してくれなければならない」と言う人まで出てくる。そして、機械ならぬ人間の集合体である医療関係者は、どんどん磨り減っていく。 これは医療に限った話ではない。たとえば、学校なんかも似たようなところがあるのではないか?一人の教師が受け持つのは1人でも二人でもない。数十人単位に対して教育を施している。その教育がうまくいく生徒もいればそうでもない生徒もいるだろう。そんなことは、1人か二人に対して教育を施しなおかつ必ずしもうまくいっているかどうかわからない両親自身がよく知っているはず。しかし、何か問題があると、学校や教師を責める。あたかも、教育に関しては学校に任せておけば大丈夫だと言っているかのように。 昨日、東京の秋葉原で起こった通り魔事件。さすがにこの事件に関しては、犯人の家庭や勤め先が槍玉に挙げられることは「まだ」ないようだ。しかし、今から7年前の大阪の学校で起こった殺傷事件では、何の罪もない学校の責任が問われたのも事実である。学校は教育機関であって、凶悪犯に対する専門家でもなんでもないのに。とにかく、責める人が多くいるのは残念なことだ。 話をもどすと、「あらゆる悩み」を解決する機関も機械もまだ存在しない。レベルをぐっと落として「いろんな悩み」を解決する機関や機械さえ、なかなか作るのが難しいのが現状である。要するに、問題やアクシデントは「起こるときには起こる」わけで。そのことに目をつぶる、または気づかないふりをしている人間が少なくないこと、そして彼らの一部が世間に対する発言力が大きいことは、「悩みを引き受ける」機関や人間にとっては「大きな悩み」かもしれない。 にほんブログ村 (「世界のあらゆる悩み」を収録している本:停滞空間 (ハヤカワ文庫 SF 357) ↑この「停滞空間」という短編集そのものが優れていると思います。一読の価値あり。「プロフェッション」「最後の質問」「停滞空間」「ZをSに」などが私のお気に入りです。
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